白神山地周辺散策~暗門の滝
2014年9月21日、この日は白神山地の麓にある暗門の滝を見に出かけました。
暗門の滝は、青森市から南西の方向、弘前市を抜けて西目屋村の中心から更に車で30分程度走った所にあります(青森市からは、2時間程度)。
拠点にセンターハウスがあるので、気持ち安心です。
(コテージやオートキャンプ場もいつかは、利用してみたい)
駐車場に車を置いて、川沿いに歩道を進みます。
この日は、まだ夏の名残りが感じられ日差しが強かったのですが、川沿いはそんなに暑さを感じずに快適に歩けました。
川の水がとても綺麗で、こころが癒されます。
歩道を歩くこと1時間位で一番手前の滝(第三の滝)に到着します。
ここで小休止。5歳の息子を連れていたので、この先は断念して引き返すこと
にしました(多少がんばれば行けたのでしょうが)。
また来年あたり、一番奥の第一の滝を目指したいです。
ちなみに、この「暗門の滝歩道コース」の入り口には、湧水を飲める所があります。
是非、空のペットボトル(500ml)持参でこの水を汲んでからの散策をお勧めします。
散策後、息子はセンターハウス横の滑り台で遊びました。
※この後、Beechにしめやでご飯を食べようとしましたが、4時前に終了してました。
弘前まで戻り、やっとご飯にありつけました。
太宰の旅 『津軽』から~その2(青森市)
太宰治の作品『津軽』は、太宰の旅行記或いは、津軽の風土記のような作品であるが、小説に分類されています。
太宰が『津軽』の執筆の為に、津軽地方を旅行したのは、昭和19年5月中旬から6月初めごろの間らしい。
太平洋戦争の真っ最中であり、所々「防衛のため~」という文章は、見られるが、本土空襲が始まる前のせいなのか、まだそんなに切迫した雰囲気は無い。
下の写真は、青森時代の話で少しだけ語られる堤川(つつみがわ)ですが、その文章を引用します。
『隅田川に似た広い川といふのは、青森市の東部を流れる堤川の事である。すぐに青森湾に注ぐ。川といふものは、海に流れ込む直前の一箇所で、奇妙に躊躇して逆流するかのやうに流れが鈍くなるものである。私はその鈍い流れを眺めて放心した』
もう本当に海と合流する地点で、どこまでが川で、どこからが海か分かりません。
こちらは、海側を写した所と同じ橋の反対側、山手側を写したものですが、水の色がいかにも川といった感じで対象的です。
遠くには、八甲田山の一部が見えます。
太宰も学生時代にこの川を眺めたのかと思うと、見慣れた景色も少しだけ、違って見えます。
太宰の旅 『津軽』から~その1(青森市)
以前から、太宰治の作品『津軽』で語られている青森の各地の現在の姿を写真に収めて、なんらかの形でまとめてみたいという思いがありました。
青森市在住の自分にとっては、別に珍しくもない風景だったりしますが、遠方に住むどなたかの目に留まり、参考になれば幸いです。
合浦公園は、青森市の中心からやや東に位置し、太宰がかつて通った県立青森中学校が隣接していました。現在、中学校の建物は無く、市営球場になっています。
ちょっと長いですが、引用すると「ひらたい公園といふのは、合浦公園の事である。そうしてこの公園は、ほとんど中学校の裏庭といってもいいほど、中学校と密接してゐた。私は冬の吹雪の時以外は、学校の行き帰り、この公園を通り抜け、海岸づたいに歩いた。謂はば裏路である。」
太宰が、下宿した「寺町の豊田家」は、現在の本町に位置し、合浦公園からは、西側に徒歩30分位の距離です。
合浦公園は中学校の東隣にあり、海岸は北側にあるので、太宰は、わざわざ遠回りして帰ったのですね。
現在、合浦公園の海岸は、50m程度の砂浜があり、その先は工場になっている。今は、海岸沿いにずっと歩いて行くことはできません。
夏場は、海水浴場として賑わっています。
反対の東側の海です。遠くに、浅虫温泉の建物と、湯の島が微かに見えます。
後ろになってしまいましたが、合浦公園の入り口です。
石碑は、明治35年建立だそうです。(※参照)
合浦公園は、桜祭りや海水浴を楽しんだり、ジョギングや散歩、子どもを遊具で遊ばせたりと、 普段は、市民の憩いの場として賑わっています。
とても、生活感の染みついた公園という雰囲気です。
大体の位置関係は、下図のとおりです(比率はちょっとおかしいです)。
詳細は、グーグルマップでご確認ください。